【学生インタビュー記事】地域おこし協力隊・荒井さんが語る、下灘駅からはじまった伊予市でのまちづくり
- NISSHO
- 2022年6月1日
- 読了時間: 7分
更新日:4月16日

荒井 綾子 (あらい あやこ) 現姓:高木 (たかぎ )【元伊予市地域おこし協力隊】
経歴
福島県白河市出身。福祉分野での長年のキャリアを経て、約2年前の2020年に横浜から伊予市へ移住し、2020年5月に伊予市地域おこし協力隊として着任。移住のきっかけは、テレビで見た下灘駅の特集番組に感動し、横浜から車で下灘駅まで旅をしたこと。現在は伊予市で観光協会を新設する取り組みを行っており、地域の魅力を発信している。
※この記事は、2022年5月に松山大学 人文学部 社会学科 1回生の学生さんが取材・執筆したインタビュー記事です。掲載内容は取材当時のものです。
※荒井さんは2020年5月1日~2024年3月31日まで地域おこし協力隊として活動されていました(2024年8月追記)
伊予市に移住した経緯
-荒井さんは横浜から移住されたと伺いました。伊予市を選ばれたきっかけは何だったのでしょうか?
2016年頃、NHKの番組『ドキュメント72時間』で伊予市の下灘駅が特集されているのを観たんです。そこで初めて「こんな場所を旅してみたい」と思いました。それが、伊予市との出会いの始まりです。
翌年、ちょうど仕事を辞めるタイミングがあり、「今だ!」と思って下灘駅へ行ってみました。夕やけこやけラインを車で走っていたときに、ふと「いつかここに住んでみたいなあ」と感じたんです。
それから2年ほどたち、都会での生活も十分に楽しみ、仕事にも一区切りがついたころ、LINEのアイコンにしていた下灘駅の写真を見て、「そういえば、あのとき“住みたい”って思ってたなあ」と思い出したんです。それが、伊予市への移住を決めたきっかけになりました。
-伊予市、特に下灘駅は、荒井さんにとって特別な場所なんですね。下灘駅のどんなところに惹かれたのでしょうか?
それが…なかなか言葉にできないんです、笑。
でも私にとって下灘駅は、なんというか“夢の国”みたいな場所なんですよね。空も海も真っ青で、まるで現実じゃないみたい。ここだけ、時間の流れが違うように感じるんです。同じ日本とは思えないくらい、特別な空気が流れている気がします。
―言葉では表せないほどの魅力があるんですね。まさに“感じる場所”なんですね。

現在のお仕事について
―『伊予市地域おこし協力隊』では、どのようなお仕事をされているのですか?
地域おこし協力隊は、総務省の制度で都市部から人を呼び込み、地域を元気にしていく取り組みです。協力隊には「ミッション型」と「フリーミッション型」があり、私は「ミッション型」として活動しています。
現在は、市役所や観光協会の職員の方々と一緒に、伊予市に新しい観光協会を法人として立ち上げるための取り組みを進めています。一方で、フリーミッション型の方は、カフェやゲストハウスを開業するなど、より自由な形で地域と関わっているようです。
―ミッション型の活動では、具体的にどのようなことをされているのでしょうか?
法人設立という大きな目標に向かって動いてはいますが、まずは地域の方との関係づくりをとても大切にしています。1年目は、伊予市について知るところから始めました。農家さんや漁師さんにお話を伺いながら、地域の物産や文化、人の想いに触れていきました。
伊予市では、約10年前から地域おこし協力隊を受け入れているので、住民の方々の理解がとても深いんです。「次はこの方を紹介しますね」と声をかけていただけることも多くて、自然と人の輪が広がっていきます。日昇(ヒノボリ)さんとも、そんなつながりの中でご縁ができました。
協力隊の仕事って、地域を知り、人とつながることそのものなんですよね。たとえば、双海や中山にある道の駅、町家やいよっこらといった産直市なども、伊予市の観光と物産の入り口。そうした現場を回って、リアルな地域の姿を調べたり感じたりする機会が多いです。それが、将来の法人運営にもつながっていくと思っています。
―愛媛県内の地域おこし協力隊の雰囲気は、どんな感じですか?
すごく多様でおもしろいですよ!いろんな経歴の方がいて、たとえば大学生のうちから起業を始めている方もいれば、都庁に勤めていた方が60歳を過ぎてから隊員になったケースもあります。学生で社会人経験のない方もいて、本当にさまざま。それぞれが自分の視点で地域に関わっていて、刺激を受けることばかりです。
―移住者だからこそ、活かせたことはありますか?
SNSを通じて移住希望者の方とつながり、その方が実際に伊予市に移住したケースもあります。私は“移住者目線”を持っているので、これから移住を考えている人と担当者をつなげたり、空き家オーナーさんとやり取りをしたりと、橋渡し的な役割ができるのかなと感じています。
―今年で卒隊とのことですが、その後の展望はありますか?
はい、協力隊としては3年目で、今年が任期の最終年になります。これからのことも少しずつ考えるようになりました。個人的に、横浜の友人を伊予市の素敵な場所に案内するのがとても好きで、アテンドやガイドの仕事にも興味があるんですが、実際にはハードルが高い部分も多くて…。
そこで今考えているのが、「民泊」です。現在は空き家を探しているところで、まずは小さなところからスタートできればと考えています。
―民泊では、どんな方に来ていただきたいと考えていますか?
まずは、関東にいる友人や協力隊の仲間たちに使ってもらえたらうれしいですね。それから、地元の民泊をされている方のお話を伺ったところ、帰省客のニーズもあると知りました。
今の時点で自分に見えているマーケットを大切にしながら、スモールビジネスとして始めたいと思っています。そして、民泊に来てくれた方には、愛媛や伊予市の魅力をその人に合ったかたちで提案して、また次の人につながっていくような循環が生まれたら理想ですね。

伊予市の魅力と、荒井さんの人生観
―移住者として暮らしてみて、伊予市にはどんな魅力を感じていますか?
まず、焼杉の壁や瓦屋根の家が多いことに惹かれました。移住してきてから、そういった風景がとても心に残っています。
ちょうど移住した時期が、唐川びわの収穫のころだったんです。空の青、山の緑、びわの袋のオレンジ――その色合いがとても愛媛らしくて。春には菜の花が咲いていて、見ているだけでほっこりするんですよね。
綺麗な海や、自然に恵まれた山、島など、伊予市にはたくさんの魅力があります。でも地元の方にその良さを伝えようとしても、「ほーなん?」って、一言で終わっちゃうことが多くて(笑)。その反応もまた、伊予らしくて好きなんですけどね。
―これまでたくさんお話を伺ってきましたが、最後にひとつお聞きしたいです。荒井さんがこれまでの経験を経てこの場所にたどり着いたのは、何か大切にしている価値観や人生観があったからだと思います。ご自身の人生観について教えてください。
若い頃から、自分の心や感覚を大事にすることが行動のベースにありました。ただ、当時は「大学に行って、就職して、家庭を築いて…」という、いわゆる“社会の定型文”しか知らなかったんです。私も自然とそのレールを進んできました。
でも、ずっと同じ環境で働き続ける中で、「今の社会って、本当はどうなっているんだろう」と疑問が湧いてきて。そこから、少しずつ考え方が変わり、行動にも移すようになりました。
「顕在化していることは1割で、残りの9割は潜在的なもの」ってよく言われますよね。私もその9割には、もっと宇宙的な何かがあるんじゃないかと思っているんです。
そうした潜在的な思いが形になって、「のんびりと海を眺めながら暮らしたい」という気持ちが、下灘駅を旅するきっかけになりました。そして、それが伊予市への移住につながったんだと思います。
一見すると、思いつきのように見えることが、自分の本質だったりする。だからこそ、自分の心や感覚に素直に従って生きることを大事にしています。自分の気持ちと一致していれば、自然とうまくいくものなんですよね。
20歳の頃、「20年後には、穏やかな海にオレンジ色の夕日が差すような“心”の人になっていたい」と思っていたんです。いま、まさにそういう場所で暮らしていることに、不思議なご縁を感じています。
―本日は貴重なお話をありがとうございました!

インタビューを終えて
伊予市への深い愛情と、気さくで朗らかな人柄がとても印象的だった荒井さん。移住者の視点から語っていただいたお話には、地元に暮らす私たちにとっても、新たな発見がたくさんありました。
インタビューの最後には、若い世代へのエールもいただき、荒井さんのように“心の声に従って行動する姿勢”こそが、地域の活性化につながっていくのだと感じました。
これからのご活躍も、心から応援しています!
ライター:松山大学 人文学部 社会学科 1回生 A.H
伊予暮らしの情報メディア ヒノボリ
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